【番組配信は次のステップへ】その4)テレビが“イマ”でありつづけるために、ネット配信は必要だ。

 

「メディア」というコトバは考えてみると不思議な使われ方をしています。そもそもは“媒体”という意味でしかないはずですよね。よくよく考えると、そっけないドライな意味です。何かを伝える時に中間にある存在、といった程度のはず。

でも例えば「メディアを賑わしている」という使い方をする時、この「メディア」には複雑な意味が込められていますね。“媒体”よりもずっと意志を持ち、中に慌ただしく情報を集めたりそれをまとめたりする人たちがぎっしり詰まっている。そんな場が想像できるのが「メディア」だと思います。

「ソーシャルメディア」というコトバにも「メディア」がついていますね。これもまた不思議だなあと思います。もちろん本来の“媒体”という意味に受け止めれば「社交媒体」と直訳できるし、それは実際のソーシャルメディアの機能に則したコトバだと思えます。でも上に書いた「メディア」、つまりテレビや新聞、雑誌などの意味だとすると、TwitterやFacebookは「メディア」なのかなあ、と考え込んだりして。

でも一方で「メディア」の意味を私たちがいま受け止めている解釈でとらえれば、ソーシャルメディアはまさにメディアなのだと思います。

例えば同じ映像でも映画はあまり「メディア」として括りません。映像メディアはテレビですよね。あるいは同じ活字でも新聞雑誌は「メディア」ですが、書籍はあんまり「メディア」ととらえませんよね。

ソーシャルメディアが「メディア」なのは、媒体であるだけでなく、“イマ”だからではないでしょうか。これは私の勝手なとらえ方なのですが。

つまり「メディア」というコトバには、たぶんに“イマ”を伝える媒体だという意味が込められているのではないかと思うのです。映画や書籍と、テレビや新聞雑誌が違うのはそこではないかと。自分にとっての“イマ”は何なのか、何が話題なのか、何を知るべきなのか、何が起こっているのか。

インターネットはそれだけでは「メディア」ではなかったのかもしれません。インフラですからね。そこで刻々と“イマ”を伝えるサイトは「メディア」と言える。そしてソーシャルメディアも“イマ”なのです。

テレビ離れ、新聞離れが起こっているのは、この“イマ”の共有範囲が変化しているからかもしれません。日本という括りでの“イマ”に私のようなおっさんは常に興味があるのだけど、若者は日本全体で起こっていることなんて「べつに・・・」と興味ないわけです。それより友達との話題のほうがずっと重要なんでしょう。それを嘆いても仕方ない。それくらい国という単位の存在意義があやふやになりつつあるということなのです。

テレビ番組がネットで配信されることは、そういう若者にとっての「メディア」の中にテレビの居場所をつくり、それはそれで“イマ”の一部だと認識してもらうことなのだと思います。

けっこう重要なことを書いているつもりなのですが、どうでしょうか?重要なので次回に続きますね。


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